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  • 今、地域科学部に何が起きているのか?

    地域科学部を廃止して経営学部に!?

    概要

    現在、岐阜大学では「地域科学部を廃止して経営学部を新設する」という案が浮上しています。当初は、地域科学部とは別に「6番目の学部」として設置予定でしたが、文部科学省に「人・モノ・金はあるのか?」「地域科学部内部でもできるのでは?」と質され、当初の構想を断念し、地域科学部を経営学部に改編する、という案を急きょ出してきました。

     

    この間、全国各地の国立大学で組織改編が進められつつありますが、それらの多くは定員の移動に伴う名称変更や統廃合であり、既存の学部を丸ごと潰してまったく新しい学部をつくるというのは、国立大学として前代未聞の暴挙です。この無謀な「改革案」を止めるべく、これまで学内でいろいろ動いてきましたが、大学執行部の暴走は止まるどころかますます硬直化しつあります。

     

    国立大学の学部再編は、教職員だけでなく、学生やその保護者、卒業生をはじめ、高校生や企業・行政、地域社会の多様な人びと・機関にも大きな影響をもたらすものとなります。それら多様なステークホルダーを置き去りにしたまま進められる現行の「改革」は、その内容においても進め方においてもきわめて問題であり、到底受け入れられるものではありません。

     

    問題点(概要)

    地域科学部への評価

    地域科学部は、「地域系学部のパイオニア」として、全国の大学から参照され注目されています。卒業生の満足度が高いだけでなく、入試倍率は3~4倍、就職率もほぼ100%で推移しており、高校や企業からも高い評価を得ています。あえて廃止する理由が見当たりません。

     

    経営学部のニーズ?

    経営学を学べる大学は、県内でも3大学、近隣の愛知県には23大学もあります。近隣の国立大学に絞っても、名古屋大学や滋賀大学、富山大学で経営学を学ぶことができます。新たな学部にどれほど学生が集まるのか、充分な調査もないまま計画が進められています。

     

    そもそもお金がない

    大学全体の財政難のもと、新学部のスタッフや設備が整えられるのか疑問です。現在、全学部で新規人事がほぼストップし、図書館からは日経・朝日のデータベースすら切り捨てられている状態です。「新しいこと」を始める以前に、まずは目の前の基礎的な教育研究環境の整備こそが不可欠です。

     

    専門家がいない

    岐阜大学には経営学を専門にしている研究者はおらず、いわば素人が経営学の学部をつくろうとしている状況にあります。通常、新規学部創設には、既存の学内資源を拡充していく形で進められるものですが、その土台すら岐阜大学にはありません。

     

    対話する姿勢がない

    こうした問題点について、地域科学部では再三にわたり指摘・忠告を繰り返してきましたが、大学執行部はそれらの指摘になんら応答を返すこともなく、「決定したことだから」と強引に「改革」を進めようとしてきています。

  • これまでの経緯

    経緯

     ことの発端は、2015年時点で学長から提起された教育学部の定員削減案に遡ります。今後予想される教員採用者数の抑制を見込んで、教育学部の学生定員を減らすということが提起され、その定員をどこに移すかということが問題になりました。

     それと並行して、文科省補助金事業を用いて2015年度より実施されている「次世代地域リーダー育成プログラム(地域産業人材育成)」は、2021年以降は補助金交付なしで実施継続することが求められており、それをどのように存続していくかということが問われていました。加えて、2017年度からスタートした自然科学研究科での「イノベーション人材育成」および2019年設置予定の工学部博士課程の国際ジョイントディグリープログラム(グローカル人材育成)などでの要請から、「経営/マネジメント教育を充実させるべき」ということになり、ワーキンググループがつくられ検討が進められてきました。

     

     上記二つの問題意識が重なり合うことで、経営学を学べる学部もしくは学科をつくる必要があるということが提起され、新学部設置構想が浮上してきました。その際、教育学部からの定員拠出だけでは学部として成り立たないため、分野の重複が想定される地域科学部からも定員を拠出し、新しい学部に振り分けていくという案が提示されてきました。また地域科学部に対しては、定員拠出だけでなく、「名称変更を前提に組織再編」をせよということも示されました。

     学部の内容に不備があるわけでもなく、高いニーズを維持しているにもかかわらず、学部定員の3割に相当する人数が削られること自体、通例からしておかしな話ですが、さらに学部の名称を変更することは、これまで長年にわたり培ってきた教育活動の蓄積を無にする行為であり、到底受け入れられるものではありません。そういった思いから、これら「改革」に対する反対の声を、岐阜大学職員組合地域支部・地域科学部教授会・地域科学部学生・院生有志の会がそれぞれ表明してきました。それを受け、学長もいったんは「名称変更は前提としない」と明言せざるをえない状況となりました。

     

     しかし、2018年3月、新学部設置に向けて文部科学省へ訪問してから、事態は一転してきます。文科省の担当者からは、「人・モノ・金は大丈夫なのか?」「地域科学部でも実施できるのではないか?」という疑問が出されました。その後、5月に2度目の訪問をしていますが、そこでも同様の指摘がなされ、その直後には役員懇談会名義で「地域科学部を廃止して経営学部にする」という新しい案が突如出されるに至りました。

     また並行して、3月末あたりからは、「地域科学部の教育課程に重大な不備がある」という指摘を繰り返し、修正するよう再三求めてくるようになりました。しかし、それら指摘は地域科学部の教育課程に対する誤認・無理解に基づくものであるとともに、文部科学省や大学基準協会(大学・学部の質の保証を担保するための第3者認証評価機関)の方針にもそぐわない指摘であるということを、教授会では公式文書や事実に即して丁寧に説明・反論してきました。にもかかわらず、それら反論に対する説明もないまま、「再度審議を行った結果、学位授与に関する課題が存在する」という結論のみが提示され、学部廃止の決定がなされようとしています。

     

     こうした事態を受け、教員・学生・職員組合それぞれが動き出し、無謀な「改革」を止めようと奮闘しています。

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  • 問題点

    ●地域科学部への評価

     ●経営学部のニーズ? 

     ●そもそもお金がない 

    ●専門家がいない  

    ●対話する姿勢のなさ

  • ●地域科学部への評価

     通常、学部の廃止は定員割れ状態が続いているなど、学部運営に大きな支障が出ていたり、地域ニーズとマッチしていなかったりという状態において決断されるものです。しかし、地域科学部はまったくそんな状態にはなく、高校・企業をはじめ、地域社会からも高い信頼と期待を得ており、廃止にする理由はまったく見当たりません。

     地域科学部は、「地域系学部のパイオニア」として、全国の大学から参照され注目されています。地域科学部ができたのは1996年。今でこそ、「地域~」と名のつく学部は珍しくなくなってきつつありますが、当時は地域課題への注目はそこまででもなく、全国で初めて「地域」を冠した学部として設置されることとなりました。

    開設当初は、「いったい何が学べるのか分からない」という反応で、理解を得ていくのに苦労した時期もありましたが、高校訪問や企業訪問をはじめ、地域との連携活動などを積み重ねるなかで、徐々に周知・理解も進んでいきました。そして現在では、入試倍率は毎年3~4倍となり、入試偏差値も上昇してきており、進路先としての存在感を増しつつあります。

     

     また、ベネッセが実施している「大学生基礎力調査」において、地域科学部の学生は学年が上がるにつれて学習意欲が高まっていくという傾向を示しており、他の大学・学部には見られない傾向があることが指摘されています。通常は、入学当初が一番モチベーションが高いものの、学年が上がるにつれて徐々に意欲は下がっていってしまう傾向があるそうですが、地域科学部の場合はその逆であり、学部における教育が大きな効果を果たしていることの証左となるでしょう。

    そして、出口としての就職についても、きわめて安定的な様相を呈しています。世間一般では「就職氷河期」と言われていた時代にも、ずっと90%後半代を維持しており、近年ではほぼ100%の就職率を保っています。そして、卒業生に対する企業の側の評価も高く、「就職」だけでなくその後の職業生活まで含めて教育の成果を果たせていると言えるでしょう。

     

     こうした実態を受け、ジャーナリストの木村誠氏が大学の実情をまとめた書籍『大学大倒産時代』では、「日本における地域科学のパイオニア的存在」として地域科学部を取り上げ、高く評価しています。地域ニーズへの応答や企業からの評価、そして学んでいくなかで問題意識を醸成し高めていくといった地域科学部の特色をまとめた上で、「最近、連続して生まれている国立大学の地域活性化を目標にした新学部も、岐阜大学をモデルケースに、さらに地元の特性を十分に取り入れて展開すべき」と結論付けています。

     

    〔参考〕

    富樫幸一「岐阜大学地域科学部における教育・研究・地域連携の20年」『地理』第62巻4号、2017年、pp.38-45

    木村誠『大学大倒産時代―都会で消える大学、地方で伸びる大学』朝日新書、2017年、pp.188-190

    Bennese『VIEW21』2014年vol.3秋号、pp.3-5

     

  • 経営学部のニーズ?

     「経営学部をつくる」と豪語していますが、はたして経営学部に対するニーズはどれくらいあるのでしょうか。そういった見通しもないまま、ただ学部をつくってみたところで、学生も集められずじり貧になっていくばかりです。

     まず、経営学を学べる大学は、既に県内でも3大学、隣の愛知県には23大学もあります。近隣の国立大学に絞っても、名古屋大学や滋賀大学、富山大学に学科が設置されており、そこに新たな受け皿をつくってみても、無駄な過当競争(学生の取り合い)を生み出す結果にしかなりません。県内3大学の実情としては、かろうじて1倍を担保している状態ですし、2017年には募集停止した経営学部もあるほどで、明らかに過剰な状態となっています。

     そういった現実がありながらも、大学執行部は、岐阜県の高校出身者のうち、毎年130~150名の学生が県外の国立大学経済・経営学部に進学しているという事実を取り上げ、「高校卒業者の県外流出を防ぐ」と言っています。しかし、その数字は経済学など経営学以外の学科への入学者も含んだ数字であり、そもそもデータの扱いからして間違っています。また、一口に「経営学」と言ってもその方向性はさまざまですし、進路選択は学部・学科のみで決定されるわけでもなく、岐阜大学に経営学部をつくったからといって、これまで県外に出ていた学生がそのまま岐阜大学を選択するわけではありません。

     そして何より、経営学を学びたい学生をどうにか岐阜大学につなぎとめるとしても、では地域科学部への入学を希望していた学生はどこにいくことになるのでしょうか?そもそも、定員自体の拡充がない状態で「流出を防ぐ」と言ってみても、ニーズの受け皿が変わるだけで、何も解決しません。そんなあたりまえの話を無視して、臆面もなく設置の理由として掲げてくる執行部の振る舞いは、この「改革」問題だけにとどまらず、大いに不安を覚える次第です。学部を設置して学生に学ばせるという以前に、大学の経営に責任を負うべき執行部こそ、まずは経営学の基本を学んでもらいたいと思うばかりです。

  • そもそもお金がない

     「新しい学部をつくる」というのは、口で言うだけなら簡単ですが、そこにはとてつもない時間と労力、そして教育研究を担いうる人員の確保が不可欠です。既に、この「改革」への対応で相当な時間と労力が無駄にされているという実情がありますが、そもそも新しい学部をつくるだけの人・モノ・金はあるのでしょうか?

     実は、岐阜大学の経営状況はかなり逼迫化しており、新学部設立どころの状況ではない、というのが率直なところです。岐阜大学だけでなく、国立大学全体が国からの運営費を年々減らされており、人件費抑制や経費削減、外部資金の獲得に躍起になっています。そうしたなか、岐阜大学では数年前に唐突な「人事ストップ」が言い渡され、資格などが絡む場合を除いて新規採用はずっと見送られている状態が続いています。

     なかでも母体の小さな地域科学部は大きな影響を受け、現在は教員数1割減の状態でどうにか日々の業務をこなしている状態です。「多様な分野から学べる」ということが、学部にとって大事な要素としてあるんですが、退職者の補充ができないことで、本来学びたかった学問分野の内容を学べない、という事態も生じつつあります。

     また、財政難の影響は、教育研究環境の著しい低下ももたらしています。なかでも極めつけは、朝日新聞「聞蔵Ⅱ」・日経新聞「日経テレコン」というデータベースが、2018年度より契約中止になったというものです。全国紙である朝日新聞のデータベースを入れていない国立大学というのは前代未聞ですし、まがりなりにも経営学部を設置しようとしている大学で、日経テレコンを打ち切るというのは、理解不能な判断です。そのような環境の大学に、いったいどんな教員・学生が入りたいと思うでしょうか。

     このように、「新しい学部での教育」以前に、既存の大学教育の遂行すらギリギリの状態になっており、とても新規学部に人手やお金を割けられる状況にありません(他方で、「70周年事業」に向けた大盤振る舞いをしていたりもしますが)。にもかかわらず、「いったん決めたことだから」と言って「改革」に突き進もうとする執行部の姿勢は、経営学的に見てもおよそ常軌を逸しています。

  • 専門家がいない

     一般的に、学部の新設というのは既存の学内資源の拡充という形式で行なわれるのが常であり、まったく新しい学部を創設するということは、相当な準備と人員配置が不可欠となります。また、大学教育というのは高度な専門性に基づき編成・実施されるものであり、同じ研究者だからといって、他領域の人が片手間に作れるものではありません。

     にもかかわらず、現行の岐阜大学には経営学を専門に研究している教員はおらず、専門の異なる理事と教員が、どうにか学部としての体裁を整えようと躍起になっています。既に学部理念や各種ポリシー、教育課程編成の案が出てきてはいますが、近接領域の教員から見ても、あまりに杜撰な内容で、とても国立大学の学部教育としての責務を全うできるとは思えないようなものとなっています。

     一口に「経営学」と言っても、その射程の幅は広く、どういった経営学を目指していくのかということが問われてきますが、担当理事にそれを尋ねたところ、「岐阜らしい経営学」という、失笑を買うような回答でした。地域の実情に根ざしつつ、教育研究を行なっていくということを打ち出していきたいという意図は分かりますが、普遍的知の創造を担う役割を負った「学問」としての前提を放棄するような発言には、呆れかえるばかりでした。

     そして何より、書類の体裁を整えるだけであれば、他領域の教員でもできなくないかもしれませんが、実際の教育活動に従事するのはそれなりの専門性を踏まえておくことが不可欠です。しかし、配置が予定されている38名の教員のうち、半数以上となる20名程度は学内からの異動で、いずれも経営学の専門家ではありません。半数以上の教員が経営学の専門ではない学部で実施される経営学の教育というのは、いったいどのようなものとなるのでしょうか。少なくとも、ちゃんと経営学を学びたいという学生が集まるとは思えず、「とにかく卒業できればいい」という学生ばかりになってしまうのではないでしょうか。

  • 対話する姿勢がない

     以上のような問題点について、地域科学部では再三にわたり指摘・忠告を繰り返してきましたが、大学執行部はそれらの指摘になんら応答を返すこともなく、「決定したことだから」ということで「改革」を進めようとしてきています。そもそも、文科省に言われた「人・モノ・金はあるのか」「地域科学部でも実施できるのではないか」ということは、それ以前に何度も教員の側から指摘してきたことです。にもかかわらず、それらの指摘には一切答えることなく、文科省に言われてようやく対応を迫られるようになったという経緯があります。

     そしてこの間、学部・教員・学生との間で交わしてきたさまざまな取り決め・約束に対し、何の断りもなく勝手に反故にしているという問題もあります。2016年の時点では、学長は経営学部設置に対し地域科学部の教員や組織は動かすことなく行なうと明言していたにもかかわらず、その後に出された「中間報告」では、唐突に名称変更と改組が記されていました。また、2018年2月の段階では地域科学部の存続を正式に発言していたにもかかわらず、その後正式な会議の場での議論もないまま、地域科学部の廃止という案を出してくるという方針転換を行なっています。

     このように、学部・教員の側が、あくまで事実に即しつつ、丁寧に問題点を指摘し改善を促そうとも、それらを一顧だにせず結論だけを一方的に下ろしてくるという執行部の姿勢は、大学の運営をつかさどるべき立場にある者としての資質を備えておりません。また、学部改組の問題は、教職員のみならず、学生やその保護者、卒業生、受験を希望している人びとや地域社会にも多大な影響を及ぼします。しかしながら、それらステークホルダーへの説明や同意調達の動きは一切ないまま、執行部の判断のみで物事を進めようとしています。

     

     そしてまた、「対話的姿勢のなさ」という問題に関連して、議論の前提となる基礎資料すら整えられていないという問題もあります。地域科学部廃止という大きな方針転換が図られるようになったのは、3月9日の文部科学省訪問を契機としていることは明らかですが、訪問の際のデータは何度要求しても出てこない状態にあります。また、新設学部や地域科学部に関する資料には、明らかな誤認やミスリードを促すデータが掲載されており、正当な議論の土台を損ねていたりします。細かく挙げればきりがありませんが、他大学の経営学部・学科の動向を探るという資料で、経済学部まで含めた数値を用いてみたり、既に提出している書類を「提出すらされていない」としてみたり、枚挙に暇がありません。

     それらに対し、地域科学部では一つひとつデータに即した反論文書を用意して批判を積み重ねてきましたが、それら誤りの指摘に対する応答も一切ないまま、次から次へと「通知」のみを下ろしてくるという状態が続いています。聞く耳を持たない相手への説明の試みは、徒労感も著しいものがありますが、黙ってしまえば事態はどんどん悪化していくばかりでもあるため、どうにか踏ん張っているのが実情です。

     

  • 各種資料

    これまで出されてきた声明・決議など

  • 連絡先

    岐阜市柳戸1-1 岐阜大学地域科学部